昔から街中には貸金業者がありましたがサラ金は銀行からの借入れがなかなかできない人向けに信用保証と言う概念を導入して融資を行う業者として登場し、これで多くに人が融資を利用できるようになりました。
当初サラ金は、お金が借りやすくなって大変歓迎される存在でしたが、高い金利と厳しい取り立てが行われたことから、たちまち社会問題化し、サラ金の店舗は近寄ってはいけない場所になってしまいました。
この為、サラ金はこのままでは事業の継続も難しいという事を悟り、イメージを改善しなければならないと考え、まずはサラ金という名称を消費者金融とし、更に好印象のコマーシャルを流して改善を図りました。
お金を借りると言えば銀行を思い浮かべますが、以前は銀行からお金を借りるには担保や保証人を用意しなければならず、借りたくても借りられない人が非常に多く、遣り繰りで凌ぐのが普通だったのです。
しかし高度成長期になって資金需要が大きくなってくると、それでは困る人も多く、そこを狙って融資を行えば、大きな需要が見込めると考える業者も沢山あったわけです。
そこで担保や保証人を用意しなくても個人の信用保証という考え方を導入することで融資を行う業者が現れ、こういった業者をサラリーマン金融と呼び通称サラ金と言って利用者が集まるようになったわけです。
今では比較的簡単にお金を借りられる時代になっていますが、以前はそう簡単なことではありませんでした。
その頃お金を借りようと言う場合には、街中に貸金業者はありましたが、決して健全な業者とは言えず、殆どの人が利用しようと考えるのは銀行しかありませんでした。
しかし銀行の場合、融資は返済が滞った場合を想定して、予め担保や保証人を用意することが前提になっており、そういうものが用意できない人の場合、借りたくても借りられませんでした。
このため、その時代の人というのは、なかなかお金が借りられず、お金が必要な時には、遣り繰りをしたり、助け合いで凌ぐことが多かったのです。
しかし、時代が進むにつれて、生活も便利になり、高度成長期を迎えて、人々もさらに生活向上を目指す人も増え、資金需要も次第に大きくなっていきました。
しかし、説明したように銀行からお金を借りられる人というのは、自分の土地が有ったり、運よく保証人を見つけられたような人に限られますから、借りたくても借りられない人も多かったのです。
そこで、業者の中には、そういった資金需要に目を付けたところも多く、お金が必要な人にうまくお金が回っていく仕掛けが作れないかどうかを模索する所も出てきました。
つまり、そこに利益になる仕掛けが作れないかを考えたわけです。
そこで考えられたのが、信用保証という仕掛けです。要するに個人の信用を評価して、信用できると判断したら、担保や保証人無しでも融資を行なおうという訳です。
この商売の仕掛けは、業者が銀行からお金を借りて、そのお金を銀行よりも高い利息で必要な人に融資をし、その利息と銀行に支払う利息の差額を利益にすることです。
こういった業者からであれば、当時の資産の無いようなサラリーマンでもお金が借入れできましたから、サラリーマン金融と呼ばれ、通常はサラ金と言われるようになりました。
こうした仕掛けができてしまうと、資金需要がありましたから、次々にこの業界に参入が続き、それまで町中にあった貸金業者も、サラ金を名乗る業者も次々に出てくることになりました。
これは経営が大きくなって上場を果たすようになるまで何らかの形で続き、現在でも中小業者の中にはこういった関係を残している所もあります。
このようにサラ金は銀行に比べて大変借りやすく、当初は大変歓迎されていたために、その数は徐々に増えていく事になりました。
しかし、こうして広く利用が始まってみると、サラ金の融資には大きな問題も潜んでいることが分かりました。
その一つが銀行に比べて高い金利で、加えて返済が難しくなった時に厳しい取り立てが行われたことも問題を大きくしていく事になりました。
そして、取り立てが行き過ぎたために一家心中追い詰められる場合もでてきて社会問題となり、サラ金は近づいてはいけない業者と深く印象に残すことになってしまったのです。
こういった経緯で、サラ金は誕生したわけですが、それまでなかなかお金が借りられなかった人も、簡単に借りることができましたから、サラ金のおかげで、生活が向上した人も大勢いたはずです。
また高度成長期を狙って、サラ金からお金を借りる事で、事業を立ち上げて、成功した人も多いでしょう。
こういったことから、サラ金が登場した当時は、大変歓迎されていました。
サラ金のおかげで、自分たちは良い生活ができるようになったと考えたわけです。
こういった背景から、サラ金の利用者は、徐々に増えていく事になり、それまでお金を借りるようなことが無かった人たちも、借入れするようになっていきます。
このように多くの人が借りるようになると、その中には返済能力にちょっと問題がある人も含まれるようになります。
サラ金の方も貸せば貸すほど儲かる訳ですから、多少問題を感じても融資するところも少なくありませんでした。
しかし説明したようにサラ金というのは、銀行を上回る利息を取らなければ、事業として成立しません。しかも当時の金利というのは現在とは比較にならないほど高いものでした。
このため、利息はすぐに巨額になってしまいました。そうなってしまうと返済能力に問題がある人には、返済が難しくなり、中には返済できなくなってしまう人も出てくることになります。
そこでサラ金がどうしたかと言えば、そういった人に対して厳しく取り立てを行ったわけです。
取り立てには裏社会の人が使われることも多く、取り立てを受ける側は、大きな恐怖を感じる事もありました。
そして利用者が増えれば増えるほど、こういった問題が露呈しすることになったわけです。
こういったことが続くと、厳しい取り立てに耐えかねて、夜逃げをしてしまったり、中には一家心中に追い込まれるような場合も出てくるようになりました。
しかも利用者が増えてきていましたから、そういった人も少ない数ではなく、頻繁に起こるようになってしまって、誰もが身近にそういった事を聞いたり、場合によっては目にするようになりました。
このため、サラ金のこのやり方はすぐに社会問題化することになってしまい、現在の貸金業法に繋がるサラ金規制法のような法律ができる様になったのです。
こうなってしまうとサラ金というのは歓迎する存在ではなく、その逆に、そもそも近づいてはいけない場所というような考え方が広まってしまい、利用者拡大は完全にストップし、じり貧になっていきました。
しかし、この時点でも銀行は依然として担保や保証人を要求していましたから、借りられない人は大勢いました。
それなのにサラ金は行きたくない場所でしたから、利用したいのに窓口に行けない人というのは非常に多かったというのが当時の状況だったと言えるでしょう
このようにサラ金のイメージは地に落ち、ここに至ってサラ金はこのイメージを回復できなければ存続が難しいと悟ります。以後現在に至るまで、サラ金の歴史はイメージ回復のための歴史になっています。
まず行ったのが地に落ちたサラ金という名称を消費者金融に改める事でした。
さらにそれまでの雑然とした店舗をおしゃれなものに変え、入り難さを一新しました。しかしそれでも効果はすぐには上がりませんでした。
そこで行われたのが、好印象を抱かせるテレビコマーシャルの放映でしたが、ある消費者金融のコマーシャルが大変好評で、その消費者金融だけではなく業界全体の印象を変えたと言われるほど効果を上げました。
ここに至って、一部のサラ金は、こういった商売を続けていれば、利用者数は伸びず、自分たちの商売自体が成り立たなくなって、事業の継続が難しくなるという事を理解しました。
しかし地に落ちたイメージというのはそう簡単には回復できない事は、誰が考えても分かるでしょう。
このため、この時点からサラ金の歴史というのは、いかにしてイメージを回復して行くのかという歴史になり、これは現在でもまだ続けられています。
そこでこのイメージ回復のために行われたのが次のようなことです。
まずサラ金という言葉のイメージは、もはや汚いものを見るようなイメージになっていましたから、回復は不可能と判断し、新たに消費者金融という名称を用意しました。
現在でも消費者金融の関係者はサラ金と言われるのを極端に嫌うのはこういった背景が有る為です。
次にサラ金の店舗は、お金のやり取りだけができればよく、店舗にお金をかけるようなことをしなかった為、大変雑然とした雰囲気で、誰しも入りたいとは思えないようなものでしたからこれを改善しました。
つまり消費者金融は健全な金融機関になったのだという事を示すために、店舗も銀行のようにきれいにおしゃれにしたわけです。
またそれまでは、男性の対応が多かった窓口でも、やはり銀行のように柔らかい感じの女性を配置し、話しやすい雰囲気を作りました。
さらに、それでも窓口には行きたくないという人を取り込むために、そもそも窓口に行かずに契約ができる方法を開発することも始めました。
これが後に自動契約機に繋がり、更には様々な申込方法の提供に繋がって、現在ではネット経由で店舗に行かなくても申込めるようになっています。
消費者金融の申込方法が大変充実しているのは、こういった背景があったわけです。
しかし、このように様々な対策を実施したわけですが、やはり、一度壊してしまったイメージというのは、そう簡単には回復にはつながりませんでした。
しかも、こういった努力を続ける消費者金融があった半面、サラ金業法を守らず、以前のような体質を残している業者も残っていたため、なかなか利用者は増えなかったのです。
このコマーシャルが消費者金融業界の画期になったのは間違いありません。
これによって消費者金融の利用者は増加傾向に転じて、消費者金融はやっと生き延びることができたと言えるでしょう。
この自動契約機は大変好評を博し、すぐに他の消費者金融でも提供を始める事になります。
しかしそう簡単には開発できませんから、業者によっては外見だけの張りぼてを用意して、中に人が入って対応するような嘘のような本当の話も有りました。
その後、担保や保証人なしで利用できる消費者金融の利用者は徐々に増え、そういった借入れの需要が有ると言うことが良く分かったため、銀行もカードローンでその分野に参入する事になりました。
しかし銀行はこの分野のノウハウが無かったために、ここで銀行は消費者金融と提携して信用保証業務を消費者金融にまかせました。この時点で銀行も消費者金融を信頼できるパートナーと認めたわけです。
その後消費者金融の経営が行き詰った時に、各銀行は業務に支障が出ないように、提携先の消費者金融を自分のグループ内に入れて経営を支えました。
したがって、現在大手と呼ばれる消費者金融は、以前の体質は残しておらず、健全な金融機関に成長したと考える事ができます。
こうして息を吹き返した消費者金融は、その後も紆余曲折はあったものの、利用者は順調に増えていく事になって、銀行とは異なる金融業者という地位を築いていく事になります。
しかしこうしてお金の需要があることが分かると、そもそもお金を扱っていた本家本元である銀行は面白くありませんし、それまでのやり方では利用者を逃がしている事が明白になったわけです。
そこに至って銀行も無担保、保証人無しで融資を行うローンの提供を本気で考えるようになります。
しかし、銀行はそれまで担保や保証人を前提にした融資しか行っていませんでしたから、消費者金融のような信用保証の技術というのは持っていませんでした。
このため無担保保証人無しのローンは提供したくても提供できなかったのです。そこで銀行が目を付けたのが他ならぬ消費者金融です。
銀行は信用保証業務を消費者金融に委託することで、こういったローンの提供を考えたわけです。
それまで最も堅い業種と考えられていた銀行が、最も近寄りたくない業種の消費者金融と提携を考えたわけですから、それまでを知る人にとってはあり得ない提携だったはずです。
ところが銀行はそれをやってのけて、提供されたのがカードローンです。
ところがこうやって銀行の無担保保証人無しのローンを銀行も提供できるようになって一息ついたところに、降って湧いたのが貸金業法の改正です。
この改正でさらに消費者金融に対する規制が強化されることになって、消費者金融は大変お金が貸しにくい状況になり、利益も抑えられてしまい、経営は大きく傾くことになってしまいました。
実際当時の消費者金融の半数はこの時に消える事になったわけです。
しかし銀行としては提携している消費者金融が無くなってしまったら、せっかく軌道に乗りつつあったカードローンが提供できなくなってしまいます。
そこで銀行はこういった関係を持つ消費者金融を、自分の所の企業グループに入れて、資本を注入し経営を安定させることになりました。
現在の大手消費者金融の多くが銀行系と言われているのはこの時にグループ企業になったからです。
しかし、こうした経緯から、銀行のグループ企業に入った大手消費者金融というのは、以前のような無茶はできなくなって、銀行の名前を汚さないような健全な金融機関に変わっていく事になります。
そもそもサラ金と言われたころは、裏社会ともつながりがあり、経営的に不透明な部分が有った企業だったものが、ここに至って立派な金融機関に成長したという訳です。
もちろん消費者金融は大手から中小零細まで非常に多くの業者がありますから、すべてが大手のような訳ではないので、中には以前のような体質を残した業者も無いとは言えません。
しかし、しっかり業者を選べば、決して毛嫌いするような存在ではないという事もしっかり覚えておくようにしてください。
グレーゾーン金利というのはそれまで法律間で食い違いがあった上限金利は低いほうを適用すべきという事になって、それまで取り過ぎていた分の返還に応じなければならなくなりました。
これが現在で言う過払金と言う事になって、消費者金融の体力を削ぐことになったのです。
総量規制は、融資できるのは基本的に年収の3分の1までという規制で、それまでのような融資ができなくなり、これも消費者金融にとっては大きな痛手になりました。
ここでサラ金というのはどのような業者なのかについて纏めておきます。
このように健全な金融機関になった消費者金融ですが、そうかといって無暗に利用するものではありません。利用を考えた時は、まずは借りなくて済ませることを考える事こそ重要なことです。